フラワーエッセンスとは🌸

  • エッセンスの歴史
  • 創始者バッチ博士とは
  • エッセンスの使い方

🌼エッセンスの歴史

精神性を復興させようという空気感に満ちた19世紀後半から20世紀はじめのイギリスでフラワーエッセンスは誕生しました。今から約100年ほど前ですね。

第一次世界大戦(1914年〜1918年)があったり、アルケミスト(錬金術)や神智学など精神的な風潮が流行り、ルイス・キャロル、ルドルフ・シュタイナーなどが活躍していた。なんだか怖い様な…ゾクゾクする時代背景です。

イギリスでは、ホメオパシーの研究も広がっていたようです。

医療技術も、衛生面や麻酔の技術などが進歩して来ていました。

そんな時代にバッチ博士は、医者、細菌学者を経てフラワーエッセンスを誕生させました。

ヨーロッパでは現在、フラワーエッセンスが薬局に置いてあり身近な存在だそうです。

そして世界中でバッチ博士のフラワーエッセンスをもとに独自のエッセンスが色々と作られています。日本でも富士山の植物で作られたフラワーエッセンスがあります。

🌼創始者バッチ博士とは…

エドワード・バッチ博士は普通の医者でしたが、「症状を止めるなどの一時的な治療ではなく病気の本当の原因を知り真の治療をしたい!」と思っていました。

そして、その鍵は細菌学や免疫学にあると研究に励み、腸内細菌からワクチンを作りだし高い評価を受けています。

しかし輝かしい功績を立てた後でバッチ博士に大きな試練がおそいかかります。

第一次世界大戦が荒れ狂い、多くの負傷兵を看護し張り詰めた毎日を送るなか、妻がジフテリアで亡くなってしまったのです。自分自身も心身ともに疲弊し病に倒れてしまいました。

診断は悪性の腫瘍で余命3ヶ月。30代前半の若さで…です。

その後手術を受け、かろうじて動けるようになると「残りの時間を人のために使おう」と研究に没頭しました。不思議と、没頭すればするほど活力が湧いてきて体調がみるみる良くなり周囲の人に驚かれるほど元気になりました。

そして、「人間としての患者の全体を診る」と言うホメオパシーの考えに引き付けられ、病の根本原因であるとした人間の感情や性格、そして植物の治癒力に着目し研究を始めます。

バッチ博士は細菌学者の名声を投げ捨て、田舎に移り住み、自然の中をエッセンスの原料にふさわしい植物を求めて歩きまわったり、小さな漁師町で人々の病気を無料で治療しながら性格と病気の関係を研究したりして、亡くなるまでに38種類のエッセンスを完成させました。

痛みも副作用も無く、病気を治すのではなくて「自分自身を癒す」ことで自然と健康になる。セルフヘルプの観点を加えた療法です。

享年50歳でした。

🌼エッセンスの使い方

38種類のエッセンスはそれぞれ小さな小瓶に入っています。

この小瓶から直接口に2、3滴含んでも良いし、大きめの瓶に水と保存のためのブランデーを注ぎ入れたものに、何種類かのエッセンスを垂らした物を使用しても良いです。

口に含む他にも、飲み物に垂らしたり、お風呂や足湯に入れたりしても良いです。赤ちゃんの産湯に入れたら夜泣きがおさまったりすると聞いた事も有ります。

肌にガーゼなどで湿布しても良いですし小瓶を携帯するだけでも心が落ち着くなどの効果があります。

エッセンスは、晴天の日に満開の花を摘み、湧水を汲んだ器に浮かべて、朝9時から昼の12時までのエネルギーの強い太陽の光に当てて作ります。

大自然のエネルギーだけで作られたエッセンスは、自分に必要無いものを摂取しても何の作用も起こらず安心です。必要なエッセンスが取り入れられた時には、不思議な変化を感じることが出来ます。

毎日3、4回口に含んだりしているうちに、ふと自分の内面の変化に気付く時が来る…といった感じです。

フラワーエッセンスは、肉体を取り巻くエネルギー体のバランスを取ると言われています。

エッセンスの原料となる植物のことを知り自分を観察することで、自身の変化に深みと喜びを与えてくれます。この事に私は感動し魅了されるるのです。

そしてバッチ博士が願ったように、

生きるために身に着けた幾重にも重なるヨロイを少しずつ脱いで、本来の自分の気質に出会えたら、それぞれの運命を素直に受け入れていきいきと生きられるのかも知れません。

目に見えるものしか受け入れ難い日常に、フラワーエッセンスを取り入れることは、なかなか興味深く意味のある事だと思っています。

🌸セラピーはなむぐり🌸

「参考文献」

心を癒す花の療法〜フラワーセラピーの世界

フラワーエッセンス事典

エドワード・バッチ 魂の植物

伊那セラピー相談室フラワーエッセンス講座テキスト